2015年7月1日水曜日

「未来世紀ジパング 知られざる親日国シリーズ・ハンガリー」 について

629日に放送された「未来世紀ジパング」にハンガリー人である私にとっても面白い所があって、例えばスズキ工場の事情を初めて知った。
しかし、最初の十分に、首を傾げる様な発言が幾つかあった。
まず、姓名の順番を紹介して


「名字と名前の順番が日本と同じなのはヨーロッパではハンガリーだけ」


「これには訳があるという」


「それを解く鍵がハンガリー国立アカデミーに残されていた」


と。

次に、ショムファイ教授が登場して、『ツラン民族分布地図』というものをカメラに見せたら、


「なんと日本人とハンガリー人はルーツが同じだと分かった」とナレーションが。


また、ショムファイ教授が地図で中央アジアの辺りを示しながら、


「言語を見ると中央アジアのこのあたりからハンガリー人はハンガリーへ日本人は日本へと渡ったと考えられます」と述べた。



先ず第一に、ハンガリーで名字が成立し、確立したのは、貴族の場合は15世紀ごろ、下級民衆の場合は16世紀~17世紀ごろだと言われている¹ので、それを日本と結びつけようとするテレビ東京は無知にしか見えない。
 また、「ツラン民族分布地図」のことだけど、『ツラン民族分布地圖(解説書)』² という書物がある。これを繙くと、例言に


「ツラン民族分布地圖は言語、人類、人種、考古、民俗並に歷史上の學説を參酌し、綜合して著者獨自の見解により編纂したものであるから、個々の專門學説とは必ずしも一致するものでない


とある。 (下線は投稿者による)

なお、9頁の第五章 日鮮ツングース(一名南部ツングース)を見ると、日本人の説明として


「日本人も朝鮮人と能く似た民族構成であるからこれもツングース系と見てよからう言語はウラル・アルタイ語系であるが單語は朝鮮人と同樣雜多なものを取入れ一種獨特の文化を創造してゐる」
  

と書かれている。(下線は投稿者による)

この「ウラル・アルタイ語系」説とは、元々19世紀末のヨーロッパで生まれたが、現在までウラル語族とアルタイ語族の親縁関係は未だ証明されるには至っていない。また、アルタイ語族に関しては、それらの言語が共通祖語から分れたのではなく、何千年もの間接触して言語連合(Sprachbund)が成立したという見解もある。³

ショムファイ教授の発言に関していうと、それはツラン主義の考えを紹介したものなのか、教授独自の見解なのか、曖昧だけど、いかにも現在の定説であるかのように放送された気がする。

いずれにせよ、テレビ東京はハンガリー人の名字に就いて調べようとせず、さらに「著者獨自の見解により編纂したものであるから、個々の專門學説とは必ずしも一致するものでない」地図を取り上げ、「日本人とハンガリー人はルーツが同じだと分かった」と無責任かつ非科学的な発言をした。

洪(ハンガリー)日関係史に面白いエピソードが沢山あるのに、テレビ東京はそれを採用せず、トンデモ説の方を選んだ。非常に残念だと思う。





1 Bárczi Géza-Benkő Lóránd-Berrár Jolán: A magyar nyelv története. Tankönyvkiadó, 1982.  381頁

2 北川鹿蔵著『ツラン民族分布地圖(解説書)』日本ツラン協会、1933年

3 村山七郎・大森太良共著『日本語の起源』弘文堂、1973年

2015年6月29日月曜日

洪韓交流史 覚書① 홍한교류사


訪韓した洪牙利人達

1890年 Zrínyi 快走艦が濟物浦(제물포)に入港する。艦長・高級船員の一部がソウル(서울)を訪問。 艦医 Dr. Gáspár Ferenc の著書:
 Negyvenezer mérföld vitorlával és gőzzel. Singer és Wolfner. Budapest, 1892.

 Vitorlával Ázsia körül. Singer és Wolfner. Budapest, 1907.


1892年 韓墺洪修好通商航海条約を締結。


1902年  Vay Péter伯爵  が訪韓し、高宗(고종)皇帝・純宗(순종)皇太子に謁見。
    著書: Kelet császárai és császárságai. Franklin-Társulat. Budapest, 1906. 


1907年 Barátosi Balogh Benedek 民俗学者が初めて訪韓する。
    著書: Korea, a hajnalpír oszága. Budapest, 1929. 韓訳:
 버라토시 벌로그 베네데크 지음 ; 초머 모세 역저: 코리아, 조용한 아침어 나라.서울 : 집문당, 2005.8


1908年 フランツ・ヨーゼフ戦艦の艦医としてDr. Bozóky Dezső が訪韓する。
      著書: Két év Keletázsiában. China és Korea. Nagyvárad, 1911.


1933年 Kovrig János 新聞記者が香港広東上海北京満州国(溥儀に謁見)経由で訪韓。


1934年 Geszty Júlia 新聞記者がインドビルマタイカンボジアジャワフィリッピン中国日本を経て、訪韓。尹致昊 (윤치호) と会う。
著書: Rejtelmes Kelet.  Singer és Wolfner. Budapest, 1937.


1935年 Babos Sándor、満洲国で活動していた宣教師が休養のため金剛山(금강산)を訪れる。



韓国語学習・研究の先駆者達

1877年 Podhorszky Lajos Etymologisches wörterbuch der magyarischen sprache genetisch aus chinesischen wurzeln und stämmenという著書で少数でありながら、害 hăr、絲 等の様に朝鮮字音語も扱っている。


1898年 Bálint Gábor 著の Tamulische (Dravidische) Studienに韓国語の接尾辞の一覧が見えるほか、ハンガリー語・タミル語の対応語一覧表にも韓国語が散見できる。

 
Sövény Aladár  ブダペストで北韓の戦争孤児にハンガリー語を教える。生徒たちの協力を得、洪韓辞典編纂を開始。 Magyar-koreai szótár を1957年に出版。1000部。


Fendler Károly ソ連で韓国語を専攻。


Mártonfi Ferenc ELTE大学で中国語を専攻、19681970年迄金日成大学に留学。韓国語、ハングルに関する論文を執筆。


Osváth Gábor 1970年、北韓留学。1991年、ブダペストの貿易短大で韓国語講座を設立。韓国語教材編纂、文学作品の洪訳。



ブダペスト、ELTE大学: 1999年に中央アジア学科で韓国語・韓国文化コース設立
             2008年に韓国語学部設立




出典:

Bálint Gábor: Tamulische (Dravidische) Studien in Zwei Teilen. Separatabdruck aus dem II. Band des Werkes: Wissenschaftliche Ergebnisse der Reise des Grafen B. Széchenyi in Ostasien 1877-1880.  1898

Csoma Mózes: Magyarok Koreában. ELTE Eötvös Kiadó 2009.