2020年3月26日木曜日

ハンガリー人と日本文学の出会い


ハンガリー人と日本文学の出会い*


『古事記』『源氏物語』『方丈記』『怪談牡丹灯籠』『吾輩は猫である』『ノルウェイの森』**―これらの共通点はハンガリー語でも楽しめるということである。しかし、19世紀のハンガリー人は一体日本文学についてどの程度の知識を持っていたのか、どのような作品をハンガリー語で読んでいたのであろうか。日本文化や日本事情を紹介する記事を集めた資料集(Buda Attila編)を見てみると、日本文学や日本人の読書習慣などに関するものは断片的であり、基本的に外国語の文献から得た情報に基づいている。例えば、

「日本の文学はヨーロッパでほとんど知られていないのは遺憾である。我々が持っているわずかな日本の書籍を見るかぎり、この民族は歴史書と文芸をはじめ様々なジャンルの本を持っている。」(A Japán Birodalom『日本帝国』1834年)

「階級を問わず、読書好きが多く、見張りをする兵士まで本を読んでいる。子供や女性の読書に耽っている姿もよく見られる。」(Japan és népe『日本とその民族』1869年)

「現在西洋の文明国家の言語に翻訳されていないため、日本の戯曲の文学的価値を見極めることが難しいが、まだ揺籃期にあるという可能性がある。」(Japán hajdan és most『古今の日本』1875年)

などのように紹介されている。

19世紀末の百科事典A Pallas Nagy Lexikona(『パラス大事典』18931897)の「日本語と日本文学」の項目に『万葉集』『古今集』『平家物語』などの名前も見られるようになる一方、1903年に出版されたEgyetemes irodalomtörténet(『世界文学史』)に「中国と違って日本に固有の文学がない」といった間違いが書かれている。
19世紀前半にハンガリー語で読める日本文学として「天地開闢」「国生み神話」「神武東征」といった神話や歌が挙げられる。19世紀末・20世紀初頭になると、ハンガリー語に訳された文学作品も少しずつ増えていく。1901年にAkantisz Viktorが『青少年のための日本昔話』(Japáni mesék az ifjuság számára)を世に出した(彼はのちに日本語の会話集も執筆する)。日本滞在の経験があるBarátosi Balogh Benedek1906年に日本文学史を書いたが、その中に『竹取物語』『浦島太郎』『桃太郎』『羽衣』『花咲爺』、樋口一葉の『別れ霜』などの翻訳も収録されている。
ハンガリーの出版物に掲載された作品に日本語の原文(ローマ字表記)が洪訳と一緒に併載されているものもある。例えば、1832年刊の雑誌に日本の「ラブソング」が登場する(引用文のローマ字を仮名文字に直した)。

アイタカンベエ
カヲミタカンベエ
ママニハナシヲ【後略】

或は雑誌 Összehasonlító Irodalomtörténeti Lapok(『比較文学史』1884年)に以下のような「官能的な民謡」が紹介されている(引用文を仮名文字に直した)。

オマエトワタシハ
オクラノコメヨ
アスカヨニデテ
マンラトナル

(「マンラ」は「マンマ」の誤りか)

また、東洋史学者の白鳥庫吉(1865-1942)が1902年にハンガリーを訪問した際に詠んだ短歌もハンガリーの雑誌に載せられた(Vasárnapi Újság4917第号)。これもローマ字表記であるが、誤植が多い。以下で漢字仮名表記の復元を試みた。

立ち別れ
幾世経ぬらむ
同胞の
古(の?)語れ
春の夜の月

この時代にローマ字表記ではなく日本語の文字で書かれた作品をそのまま載せた雑誌・書物の存在に関しては不明であるが、百年経った今では松尾芭蕉の俳句や『方丈記』のように原文とハンガリー語訳を同時に鑑賞できるようになっている。


参考文献・資料

Buda Attila szerk. (2010) Messziről felmerülő vonzó szigetek I. - Japánról szóló, magyar nyelvű ismertetések a kezdetektől 1869-ig.  Ráció Kiadó.
Buda Attila szerk. (2012) Messziről felmerülő vonzó szigetek II/1. - Japánról szóló, magyar nyelvű források 1870-től a japán-kínai háborúig. Ráció Kiadó.
Tóth Gergely (2010) Birodalmak asztalánál. Ad Librum.
Tóth Gergely (2018) Japán-magyar kapcsolattörténet 1869-1913. Gondolat.



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『月刊ハンガリージャーナル』201912月号に掲載した記事に一部加筆変更をしたものです

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 “Ko-dzsi-ki: Régi történetek feljegyzései” Kazár Lajos, Magyar Történelmi Társulat (1982)
”Gendzsi regénye I-III” Tőkei Ferenc / Hamvas Béla/ Julow Viktor, Európa Könyvkiadó (1963)
”Gendzsi szerelmei, I-III” Gy. Horváth László, Európa (2009)
”A fűkunyhóból” Fülöp József / Szemerey Márton, Gondolat (2017)
”Kísértetlámpás” Bratka László / Vihar Judit, Széphalom Könyvműhely (1994)
”Macska vagyok” Erdős György / Gy. Horváth László, Európa Könyvkiadó (1988)
”Norvég erdő” Nagy Mónika, Geopen Könyvkiadó (2018)

2020年3月2日月曜日

国語学系雑誌 最新号  Japán nyelvvel / irodalommal foglalkozó folyóiratok új számai

『日本語学』通巻500号(第39巻1号)

【巻頭言】季刊『日本語学』の創刊に際して………甲斐睦朗

◆日本語学を創った人々

【新村出】小野正弘    【松下大三郎】益岡隆志    
【垣内松三】藤森裕治     【安藤正次】安田敏朗
【春日政治】高山倫明     【湯澤幸吉郎】神戸和昭
【西尾実】幸田国広    【時枝誠記】山東功
【土井忠生】岸本恵実   【三上章】庵功雄
【服部四郎】上野善道   【有坂秀世】釘貫亨
【平山輝男】久野眞    【W.A.グロータース】井上史雄
【池上禎造】田島優    【亀井孝】山田健三
【佐藤喜代治】安部清哉    【林大】甲斐睦朗
【金田一春彦】上野和昭    【見坊豪紀】飯間浩明
【山田忠雄】山田潔    【阪倉篤義】内田賢徳
【森岡健二】服部隆    【柴田武】熊谷康雄
【馬渕和夫】高山知明   【大野晋】間宮厚司
【壽岳章子】遠藤織枝   【築島裕】山本真吾
【寺村秀夫】山田敏弘   【徳川宗賢】中井精一
【宮島達夫】石井正彦   【J.V.ネウス トプニー】宮崎里司


【連載】

[甲斐睦朗エッセイ]………甲斐睦朗
[ことばのことばかり]………はんざわかんいち
[校閲記者のこの一語]………篠田周平
[国語の授業づくり]………小田部明香



『國語國文』89巻2号(通巻1026号)

○坂口安吾『二流の人』論 (藤原耕作)

○古文辞派詩の修辞技法――縁語掛詞的表現と名にちなんだ表現 (高山大毅)

○『うつほ物語』の歌と安法法師の歌――出家者に関する和歌表現―― (高橋秀子)



『国語と国文学』通巻1155号(第97巻第2号)

○自由民権/探偵実話 あえて汚名を身にまとい(浜田雄介)

○「沖つ藻の花咲きたらば」考――人麻呂歌集「略体歌」の「羈旅作」――(鉄野昌弘)

○嵯峨朝悲秋文学再考(具惠珠)

○久保田万太郎『道芝』論(福井拓也)

○書評・海野圭介著『和歌を読み解く 和歌を伝える 堂上の古典学と古今伝受』(鈴木健一)

○書評・熊野純彦著『本居宣長』(田中康二)

◇国語と国文学 総目次



『国語と国文学』通巻1156号(第97巻第3号)

○『今昔物語集』の動詞「すがる」 ──欠字・仮名書自立語・漢字表記のゆれをめぐる──(山本真吾)

○後水尾院歌壇と親王門跡(鈴木健一)

○シュペルヴィエルの影 ――安部公房「壁――S・カルマ氏の犯罪」と埴谷雄高――(藤井貴志)

【野山嘉正先生追悼】

○兄 野山嘉正のこと(野山和正)/思い出す事二、三(久保田淳)/野山さんの思い出──初対面の頃──(原道生)/野山先生のやさしさ(長島弘明)/「挨拶ばかりしなくていいんだ」(大塚美保)/野山嘉正先生の思い出(片山倫太郎)/野山嘉正先生のこと(井上隆史)/「粋」であるということ(安藤宏)

○野山嘉正先生略年譜・業績目録(井上隆史編)

◇国語と国文学 総目次