『日本語学』 2017年7月号 通巻468号 (第36巻7号)
◆漢文をいかに教えるか
○漢文教育の今日的意義 佐藤正光
○漢文教育の意義と方向 安藤信廣・坂口三樹
○中学校において漢文を学ぶ意味――中学校での授業事例とともに―― 秋田哲郎
○高等学校において漢文を学ぶことの意味――現場から見た「今」と「これから」―― 宮利政
○中学・高校における漢文教育の課題と実践――日本との関わりを重視して―― 加藤直志
○漢文指導のあり方をめぐって ――若い先生方への二つのアドバイス―― 塚田勝郎
【投稿】
日本語における聞き手とは 天川豊子
【連載】
[ことばの散歩道] 井上史雄
[ことばのことばかり] はんざわかんいち
[漢字を追いかける]笹原宏之
[日本語教師がみる世界の日本語リアルレポート]齊藤真美
『國語國文』 86巻6号(通巻994号)
大谷雅夫教授退職記念特輯 第3
○浄瑠璃『二名島女天神記』の成立と伝承 (久堀裕朗)
○明治初年の菊池三渓 (福井辰彦)
○柳北の登場―『春聲樓詩抄』について (マシュー・フレーリ)
○〈非現実〉への通路 ――泉鏡花「外科室」の舞台設定―― (峯村至津子)
○「まやかしもの」の蝦夷錦 ――泉鏡花『錦帯記』論 (白方佳果)
○漱石『三四郎』における「ストレイ・シープ」の意味の変容について
――『共通祈祷書』との関連をめぐって―― (小鹿原敏夫)
○岩野泡鳴〈五部作〉の構想と生成 (王憶雲)
○非在の町――佐藤春夫と稲垣足穂の「町」について―― (永井太郎)
○大連における杉原謙(游鶴)――「外地」の能楽界と漢詩壇―― (中嶋謙昌)
○近松秋江作品の中国語訳から見た日中文学の諸相(一九二〇~三〇年)(申英蘭)
○堺利彦の社会講談「一休和尚」と明治大正期の一休もの講談本
――武者小路実篤「或る日の一休」に触れつつ―― (奥野久美子)
○小説家協会・無名作家同盟から見る大正文壇──藤村のまわりの青年達── (永渕朋枝)
○新興芸術とプロレタリア文学――赤木健介の理論―― (高橋幸平)
○谷崎潤一郎『痴人の愛』論 (三嶋潤子)
○谷崎潤一郎「吉野葛」小考 (田鎖数馬)
○中村真一郎『死の影の下に』五部作の人間像――プルースト受容とその展開―― (飯島洋)
○「歌はをさなかれ」の思想 (大谷雅夫)
○大谷雅夫教授著作目録抄
『國語と國文學』 2017年7月号 通巻1124号(第94巻第7号)
○「小敦盛」絵巻の変容――願得寺実悟の関与をめぐって――(小林健二)
○嵯峨朝詩壇における菅原清公「嘯賦」の意義(宋晗)
○『三勇和歌集』考(家永香織)
○黒川真頼における『詞八衢』の受容と展開(遠藤佳那子)
◇書評・陣野英則著『源氏物語論 女房・書かれた言葉・引用』(松岡智之)
◇書評・高野奈未著『賀茂真淵の研究』(田中仁)
◇新刊書情報
◇国語と国文学 総目次
『文学・語学』 第219号 2017年6月25日発行
○『諸国百物語』論―「髪」の表象を中心に (塚野晶子)
○ 明治期西鶴批評の「機略」―明治20年代初頭における西鶴復興現象と批評家内田不知庵 (大貫俊彦)
○ 安部公房「赤い繭」論―「さまよえるユダヤ人」をモチーフとした寓話 (顧琦淵)
○ チェンバレンによる古代の音の英訳―『古事記』の「ぬなとももゆらに」について (高橋憲子)
〈冬季シンポジウム特徴〉
テーマ 女性作家と『源氏物語』
基調講演
△ 与謝野晶子の『新訳源氏物語』から『新新訳源氏物語』へ―「源氏物語礼讃歌」詠作の背景と意義 (伊井春樹)
公開シンポジウム
◇ 戦後の与謝野源氏と谷崎源氏 ―出版文化史の観点から― (田坂憲二)
◇ 田辺聖子『新源氏物語』から『霧ふかき宇治の恋』へ―『源氏物語』の読みの深化について― (呉羽 長)
◇ 千時の時をかける少年少女―児童書における『源氏物語』の現在― (北村結花)
◇ 女性作家と『源氏物語』 (中 周子)
〈国語学小特集〉 日本語研究と日本文学研究の接点
☆ 『大和物語』諸段の解釈をめぐって―日本語学からの貢献― (山口佳紀)
☆ 中古の引用句を導く感情形容詞述語文と体験話法―『源氏物語』の例を中心に― (吉田光浩)
☆ 『玉葉和歌集』の「詞書」の語彙について (若林俊英)
☆ 文学の「人称」と言語学の「人称」 (福沢将樹)
☆ 文の類型からみた『草枕』『二百十日』の写生文 (半藤英明)
★ 会報
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。